2014年2月19日水曜日

堤さんがワークショップのご感想を書いてくださいました

去る1月25日に開催したワークショップ「つながりあう〈自立〉——原発事故・優生思想・ジェンダーをめぐる対話」でゲストスピーカーのおひとりとしてお招きした堤愛子さんが、ご自身のブログに、ワークショップの感想を書いてくださいましたので、リンクをご紹介します。

堤愛子さんのブログ
ポケット小僧の気まぐれダイアリー

堤さんのブログにありますように、堤さんと、もうお一方のゲストスピーカー、石地かおるさんのお話しを聞きに、福島や名古屋からおいでくださった方もいらっしゃいました。ワークショップ後の交流会も、ふだんなかなかシェアできない思いを語り合うひとときとなりました。
ふくふくとしても企画のご報告を準備中です。こちらはもう少々お待ちください。

2013年12月30日月曜日

ワークショップ「つながりあう〈自立〉—原発事故・優生思想・ジェンダーをめぐる対話—」のお知らせ

ふくふくでは2014年1月25日(土)に下記のワークショップを開催いたします。
ぜひご参加ください。

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つながりあう〈自立〉
 —原発事故・優生思想・ジェンダーをめぐる対話—

選ばないことを選べる社会へ◆
「障害をもった子どもが生まれるから原発に反対」—チェルノブイリ原発事故の際に発せられたこの主張に厳しく対峙したのは、障害をもっていきいきと生きるひとたちでした。しかし2011年の福島第一原発事故とともに、私たちは再び、この表現に出会います。そして、障害=不幸という変わらない価値観のなかで、妊娠・出産・子育てをめぐって女性たちが苦悩を強いられることも目にしています。

 望まれる命と望まれない命が選別される—まるで、弱いものに犠牲を強いて成立する原子力発電のような社会のあり方をどのように乗り越えていけるのか。私たちはどのようにして、だれも排除されない関係をつくりだしていけるのか。「自立」「自己責任」の名のもとに「選ぶ」ことを強制されるのではない社会のために、自立生活をめざしてたたかってきたおふたりとともに考える場をもちたいと思います。

◆ゲストスピーカー◆
 ◇堤愛子さん
自立生活センター「町田ヒューマンネットワーク」理事長、ピア・カウンセラー。チェルノブイリ原発事故の際の反原発言説に見られた障害者差別の問題を鋭く指摘した「ミュータントの危惧」他「反原発三部作」筆者。

 ◇石地かおるさん
自立生活センター「リングリング」事務局長、神経筋疾患ネットワーク運営委員。優生思想の観点から着床前診断(体外受精時の遺伝子検査)の問題を提起している。

◆論題◆
◇反原発運動と障害者差別 チェルノブイリから福島へ
◇新型出生前診断と優生思想
◇中絶の権利と「自己決定」の問題
◇ピア・カウンセリングでつながる〈自立〉

◆日時:2014年1月25日(土)14時〜17時30分(終了後談話会)
◆場所:東京外国語大学(東京都府中市)海外事情研究所(研究講義棟4階427号室)
http://www.tufs.ac.jp/access/

◆主催:ふくふく http://fukufuku311/blogspot.jp/
◆お問い合わせ:fukufuku311@gmail.com

*最寄りの西武多摩川線多磨駅から会場までは、路肩くらいの高さの段差が45箇所ありますが、階段はありません。
*会場にはエレベーター、車椅子用トイレがあります。
*ノートテイクご希望の方はメールにてご連絡ください。

この企画は、東京外国語大学2013年度学部競争的経費によって運営されます。


2012年12月13日木曜日

【ふくふく11・12月のご報告】

12月のふくふく11、ニットカフェは、予想以上の盛り上がりとなりました。

手を動かしながら、メンバーがもってきてくれたYarn Bombing (Yarn Stormingとも。 街のいろいろなものを、ニットで包んでしまうすごくおもしろいアクションです!私たちも編んだものを街に放ちに行きたいね〜と盛り上がりました)の資料や、チリの女性たちがつくったキルト、その写真集(軍事政権のもとで消えてしまった家族や、自分が受けた拷問などが描かれた作品もあります)を見ながら、楽しいことや悲しいことをいろいろとおしゃべりしました。
日本でレイシズムをきちんと問うてみたいという、新しい課題になりそうなことも。
編み物初心者のおふたりはアクリルたわしをつくりました。ニードルフェルトをちくちくしたり、グァテマラなどの民芸品として知られる心配引き受け人形もつくりました。虫食いのニットをかわいく補修したひとも。私は勉強机の椅子が冷たいのでそこに敷くものを編みはじめましたが、まだコースターくらいの大きさです…寒いうちに編み終わって使いたいものです。

2012年12月8日土曜日

ふくふく11・12月のお知らせ

2012年も終わろうとしています。
暦のくぎりはできごととはなんのかかわりもありませんが、震災があり、原発事故があってから、日付は以前よりも、重みをもったような気がします。
原発事故後の社会のあり方をさまざまな角度から考えるために毎月11日にひらく勉強会ふくふく11は、2012年5月に第一回をおこない、なんとか毎月つづけて、今年の終わりを迎えることができました。
12月のふくふく11は、いつもとは少しちがう感じで、ニットカフェをひらきます。
編み物や縫い物など、手作業をしながら、世界のニット・アクティヴィズムの映像や資料を見たり、お茶やお菓子を片手にこの1年のことをおしゃべりしたりしたいと思います。
手ぶらでいらしても楽しめるように、少し材料などもご用意しておきますし、手仕事は好きじゃないのでお茶とおしゃべりだけ、という方も大歓迎です。
気軽にご参加ください。お待ちしております!

日時:12月11日18時〜
場所:日本キリスト教会館4階会議室*新宿区西早稲田2−3−18(最寄り駅:地下鉄早稲田駅)
・やりかけの編み物やボタンのとれた上着などのある方は、それをもってきて作業してください。
・かぎ針や毛糸のある方はおもちください。
・お茶やお菓子の差し入れの歓迎です(お湯はございます)。

お問い合わせはfukufuku311@gmail.comまで、お気軽にどうぞ。

2012年10月18日木曜日

「恐怖」の正体に分け入る―『世界は恐怖する』上映とトークのお知らせ


ふくふくでは反原発の言説と「障害」差別の問題について、勉強を重ねてきました。
このたび、よりはばひろくこの問題についてお話しできる機会として下記の企画を開催いたします。
ぜひご参加ください。みなさまとお目にかかってお話できれば幸いです。

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「恐怖」の正体に分け入る――『世界は恐怖する』(1957)上映とトーク

1957年、映画監督の亀井文夫は科学ドキュメンタリー映画『世界は恐怖する』を制作します。核実験が繰り返され、3年前に起こった第五福竜丸事件の記憶が生々しく残る時代に製作されたこの映画は、当時最先端の実験の場にカメラを持ち込み、放射能が生命に与える脅威を、仮借なくとらえています。
一方、映画の中には、広島・長崎の原爆投下後に誕生した「異常児」が登場します。「放射能の影響で障害児が生まれる。だから原子力は怖い、反対する」という言説は、核・原子力に反対する昨年の福島第一原子力発電所の人災以降も、しばしば耳にするものです。

しかし、障害すなわち不幸を運命付けるものでしょうか。生命の価値付けは、放射能に限定される問題ではなく、新型出生前診断の開発が報じられる昨今に連なる問題です。
反原子力か推進か、多様な生命の祝福か抑制か、二者択一を迫る議論から一歩踏み出し、わたしたちを「恐怖」に導くものが何であるか、この映画を今あらためて見ることを通して、探っていきましょう。上映後は、核と戦後史、障害、出生にまつわる課題に長らく取り組んできた、おふたりのトークゲストとともに、さまざまな角度からこの問題に迫り、ご一緒に考えていきたいと思います。みなさんのご来場をお待ちしています。

トークゲスト(五十音順・敬称略)
 安田和也(第五福竜丸展示館学芸員)
 米津知子(SOSHIREN女(わたし)のからだから/DPI女性障害者ネットワーク)
司会
 真下弥生(ルーテル学院大学・東京神学大学非常勤講師/ふくふく)

上映作品
『世界は恐怖する』
(1957年、日本ドキュメントフィルム/三映社、79分、モノクロ)

監督・亀井文夫(1908-1987)
福島県相馬郡原ノ町(現・南相馬市)に生まれる。文化学院在学中、ソヴィエト連邦に留学して映画を学び、帰国後、PLC(後の東宝映画)に入社。
1935年より監督として映画製作を開始。戦時中は治安維持法による逮捕・投獄を経験する。
戦後は独立プロダクションを興して映画作りを継続し、社会の不正義に目を向けた数多くのドキュメンタリーを製作した。
『生きていてよかった』(1954)、『鳩ははばたく』(1958)等、原水爆に関する作品も多い。

日時 2012年11月9日(金) 18時~21時
会場 東京外国語大学多磨キャンパス 研究講義棟1階115教室 
 西武多摩川線「多磨」駅下車 徒歩5分
交通案内:http://www.tufs.ac.jp/access/
キャンパスマップ:http://www.tufs.ac.jp/abouttufs/campusmap.html

*最寄りの多磨駅から会場の建物の間の経路には、路肩くらいの高さの段差が4-5箇所ありますが、階段はありません。(階段のある地下通路を通る経路もあります。)詳しい経路は、下記の連絡先までお問い合わせください。 また、会場の建物にはエレベーター・車いす用のトイレがあります。
*視覚・聴覚障害等のある方で、情報保障の必要な方は、下記の連絡先までお問い合わせください。

お問い合わせ ふくふく fukufuku311@gmail.com
主催 ふくふく http://fukufuku311.blogspot.jp/
協力 東京外国語大学海外事情研究所 
*この企画は東京外国語大学2012年度学部競争的経費によって運営されます。

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2012年8月26日日曜日

【ふくふく11・9月のお知らせ】


【ふくふく11・9月のお知らせ】
原発事故後の社会を模索して、毎月11日に開いている勉強会、ふくふく11・9月のお知らせです。
9月11日というと11年前のことを思い起こされる方も多いのではないかと思いますが、1973年、世界で初めて合法的な選挙で選出されたチリの社会主義政権が、軍事クーデタによって覆された日でもあります。
ラテンアメリカのひとびとは、アメリカ合衆国を軸とする軍事力と新自由主義による一極支配に、何度倒されても立ち上がってきました。その粘り強く抵抗しつづける姿で、現代世界のありように疑義をもつ私たちに多くのことを教えてくれます。
9月のふくふくでは、仲間のひとりでもある伊香祝子さん(ラテンアメリカ民衆文化論)に、「チリ・クーデタとビクトル・ハラ」というテーマで話していただきます。
ビクトル・ハラは、東京の反原発デモではおなじみの「平和に生きる権利」の作者で、このクーデタで軍によって殺害されました。
現在世界で盛り上がっている社会運動のイマジネーションの源泉のひとつがラテンアメリカの民衆運動にあることはしばしば指摘されています。日本と世界のひとびとの声の現在と歴史を考えるまたとない機会になると思います。
どうぞお気軽にお越しください。

「チリ・クーデタとビクトル・ハラ」
講師:伊香祝子(ラテンアメリカ民衆文化論)
日時:9月11日(火)18時~
場所:日本基督教会館4階小会議室(最寄:東西線早稲田駅)
参考文献:
『禁じられた歌 ビクトル・ハラはなぜ殺されたか』八木啓代、晶文社
『ビクトル・ハラ 終わりなき歌』ジョーン・ハラ著、矢沢寛訳 新日本出版社
『エル・フォルクローレ』浜田滋郎、晶文社
(お読みにならなくても参加できます。もちろん。)
Youtubeでも、Victor Jaraで検索してみてください。

2012年7月23日月曜日

ふくふく11・7月(第3回)報告:だれのための「よりよい」生命か

2012年7月11日の「ふくふく11」は『部落解放』2012年1月号の特集「よりよい『生命』とは何か」の3本の論考をテキストに、放射性物質の危険性を障がいと結びつけて語ることについて考えました。
チェルノブイリ事故後に撮影された障がい児や障がいのある動物、奇形の植物などの写真が、ただ放射能への恐怖をあおるために、Facebook上などで広められています。本当に放射能に因るものなのか検証されているわけではなく、“情報として共有する”という善意をまとっていたり、その行為が障がい者を反原発の道具にしていると自覚していたとしても、いまの状況下ではいたしかたなしとして断行されていたりします。これを障がい者差別と断じることは簡単ですが、いまに始まった差別意識ではないからこそ、福島原発事故後に大量に表出しているのでしょう。
野崎泰伸氏は「『障害者が生まれるから』原発はいけないのか」で、いまの社会が「障がいは悪い」という前提に立ち、本来なら障がいのない五体満足の子どもが生まれるべきなのに、原発がそれを阻んでいると考えていることに警戒心を抱いています。野崎氏は、原発の加害者が果たすべき責任は賠償という「法的責任」だけで完遂されるものではなく、原発のために害を被る人がいたとしてもしかたがないとか、自分たちの欲望のためには他者を思い通りにしてもいいとかいう横柄な「原初的責任」こそ追求されるべきだと考えています。
野崎氏も言及した障がいを悪とする環境を象徴するのが、出生前診断です。超音波検査の精度向上により、胎児が“異常”と診断された後に人工妊娠中絶に至ったケースは、1999年までの10年間に比べて、2009年までの10年間には倍増しました。松永真純氏は「出生前診断に向き合うために」で、健常者が自らの健常のあり方を問うことを求めます。さらに八木晃介氏は「どこまでが〈健康〉なのか」のなかで、異常と正常、病気・障がいと健常の境界は恣意的に決められるものであること、「健康増進法」(2003年施行)以降、日本社会では健康維持は義務となり、不健康は生活習慣だけに起因するもので、環境や労働条件は健康を害する要因から除外されてしまった、と説明します。
無自覚のうちに国や原因企業に対して責任を問いにくい状況が固められてしまっているなかで、また障がい児の出生や養育に関わることがはなはだ不平等に女性にばかり“負担”としてのしかかっている現状において、放射能の恐怖をいかに伝え、共有し、また現実に苦しんでいる人たちとどう向き合うことができるのか、次回以降もこれを課題の一つとして据えていきたいと思います。