2011年9月21日水曜日

【パネルと写真展】「子ども福島」への寄付

ご報告です。
9月10日の山田真さんのトークセッションの際によびかけた会場カンパ15,781円に、入場料から14,219円をくわえて、30,000円を、「子どもたちを放射能から守る 福島ネットワーク」(通称「子ども福島」)の活動への寄付としてお送りいたします。
小額で申し訳ないのですが、展示品貸出料や展示写真の現像費用等で赤字が出ており、このようにさせていただきたいと思います。

今後ともふくふくでは、震災後の社会を考えるさまざまな企画を実施していきたいと思います。またその際に、皆さまにお目にかかれますことを心から願っています。
どうもありがとうございました。

2011年9月14日水曜日

【山田真さんトークセッション】要旨とご感想

9月10日、パネルと写真展最終日の最後に、「子どもたちを放射能から守る小児科医ネットワーク」を立ち上げた山田真さんにお話をうかがいました。
会議室がいっぱいになるほど多くの方にご参加いただきました。お子さん連れの方も多く、靴を脱いでくつろげるスペースでごろごろする赤ちゃんも。子どもの声が響く、すてきなトークセッションになりました。
子どもをたくさん見てこられた山田さんだからこその、実践的なお話を伺うことができました。
真剣な質問もたくさん出ましたので、まとめが長くなってしまいましたが、どうぞご覧ください。
最後に、ご感想もご紹介しています。

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311日以降、広島長崎も経験してきたにもかかわらず、原発建設をとめることができなかったという思いで、無力感を感じていた。反対してきた人たちが落ち込むという状況だった。5月になって、「子どもを放射能から守る 福島ネットワーク」から、子どもを診てほしいという呼びかけがあって、少し立ち直った。
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健康相談は6月に福島と東京で、7月に福島で、計3回実施。
6月(福島):それほど切羽詰まった感じではない。子どもの健康相談というより、お母さんの心配を聞く。福島の医者は子どもの体調をとりあってくれない。事故後まったく情報がなく、配給の水を待って何時間も子どもをおぶって外にいた。自分の不注意で、とお母さんたちが自責の念。
6月(東京):避難をめぐって家庭内不和や、給食について学校にいうと怒られるような状態。それでも、相談会について記者会見もしたし、子どもも来た。
7月(福島):お母さんがおびえている。相談会に来ただけで村八分になるような雰囲気。
いま残っている人は、ここで生きていかざるをえない人で、心配だと口に出せないルールのなかで生きていかなくてはならない。子どもが一生差別されるだろうという予感。
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低線量被ばくにかんしては、データが少ない。米軍やチェルノブイリ事故のときのデータはあるが、どのくらいなら浴びても安全なのかはわからない。浴びれば浴びるだけ危険。
チェルノブイリを見てきた方の話を総合すると、甲状腺がんや白血病は増えるだろうが、それも、どこまでかはわからない。
そもそも病気と原因の因果関係を示すことは難しく、放射線の影響の実証は困難。第五福竜丸の久保山愛吉さんでさえ、アメリカは無関係だといった。
いま健康診断をする必要があるのは、長期的フォローと後々の補償のため。
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6月に福島に行ったとき、新幹線は復興支援のため1万円で乗り降り自由だった。車内は満席だった。しかし、福島駅で降りる人は、自分たち以外、だれもいなかった。
福島の人たちは、日本が福島を切り捨てて生き残ろうとしていると感じているのではないか。沖縄と同じように。福島にいる人たち自身が、「いい情報しか聞きたくない」「福島は安全」と言ってしまうのは、歴史的にそういう経験があるから。
ぜひ一度、行ってみてほしい。ああいう部分を抱えて、豊さを味わってきたのだということを知って、福島のことを考えていきたい。
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― 県庁の指示で福島の医師会が診断しないというのは事実か
現地の人たちの健康管理を長期的にやるとなると現地の医師が必要。今回呼びかけて、ひとりだけ来てくれたが、知られると立場が悪くなるということで、記者会見などで名前は出せなかった。福島の医師会は、健康問題は心理的な問題であって放射能のせいではないという立場のよう。最近になっていっしょに健康相談会をと言ってきたが、トップが山下俊一氏なので、ペンディングにしている。

― 東京で何ができるか。福島に行って、ふみこんで何かやるとすればなにか。
東京でできることは、原発を止めること。国へものを言っていく。福島から人が来たら応援すること。
福島での相談会では、参加したお母さん方を共同通信の記者さんがフォローしてくれた。地元の人が胸襟をひらいて話ができるような場にいければよいが、気持ちがわからなくても、場所を見るだけでもちがうのではないか。出かけてくる人がいることで、福島の人たちの、「捨てられる」という感情はやわらぐのではないか。福島を敬遠する、その気持ちを子どもたちも感じ取っていくのでは。
子どもたちは、放射能とともに生きていかなくてはならない当事者。この際放射能にかんする教育をして、差別がおこらないようにしなければならない。低学年向けの放射能絵本をつくろうかと考えている。

― 科学者やいろいろな専門家が市民の立場で専門知識を生かすために必要なことは。
今回の健康相談では十数人がいっしょにやっているが、低線量被曝の専門家ではない。まずは話を聞いて、必要なこと、わからないことがあればそれから勉強すればいい。とくに小児科医は、子どもの診療だけでなく親御さんの不安を共有するのも大事。

― 福島のお母さんたちが不安を口に出せないというのを聞き、痛ましくてたまらない。自分も区に給食のことを求めたりしている。これから、健康診断に甲状腺の検査を入れるように求めようと思っているのだが。
福島では対象となる人の数が多いので健康診断方式でやるしかないのだが、集団的におこなうと、切り捨てられるものも多い。だから、ほんとうは主治医がやるべき。低線量の場合、明確な症状だけでなく、疲れやすいなどのいわゆる「ぶらぶら病」もあるので、個々の症状をすくいとるには丁寧さが必要になる。東京ぐらいの線量なら、集団検診よりも、そういう目で個々の患者を見てほしいと医師会に求めたほうがいい。
肥田医師が下痢と鼻血に注意と言ったので、それが心配だと言ってくるお母さん方が多かったが、福島で私たちが見た範囲では、心配な下痢と鼻血はなかった。
ただ、今年、北海道とか何か所かでそれらの症状と線量との関係を調べてみようかと思っている。ほんとうは公衆衛生学の人間たちが、直後からチームをつくってやるべきだったのだが、最近になってアリバイ的にちょっとだけやっている。方針がない。
今のところは、食品の測定が大切だろう。産地表示ではだめで、ベクレル表示でなければ。自衛という意味では食品の測定が第一。

― ストロンチウムに対してカルシウム、セシウムに対してカリウムを摂取するのが有効とか、りんごペクチンとか、発酵食品がよいとか言われているが?
科学的に検証されたものはない。検証のしようがない。論理としてはそうだが、データはないし、大きな期待ができるものかどうか。ゼオライトなども同様。
危ないものを入れないということに気をつけるべきで、入ってしまったものを除去するというのは。除染も、評価はいろいろで、言いにくいが、私自身は使っていない。

― 科学的なエビデンスのあるなしにかかわらず、水たまりに入らないとか、日常的に気をつけた方がよいことは。
福島では、外部被曝のことは、考えたらきりがないと話した。子どもには決定権がないから、大人がこのほうがよいとなればそうなってしまうが、子どもは一日中動いているのが自然なこと。雨などは多めに見て、むしろ内部被曝に気をつける方がいい。ただし、これには、いいものを選んで食べられるという経済的余裕が必要になるので、格差が出る。ほんとうならば、福島産のものを食べなくてもすむように、つくらなくてもすむようにするのが本筋。経済的に許すかぎりで食べ物飲み物に気をつける。幼稚園などでは保護者同士で測定について話し合いができるといい。空間線量は正確にはわからないが、食品はある程度わかるので。

― 福島に残っているお母さん方から電話で相談を受けるNPOにかかわっている。福島をちょっと出られるときなどに、お医者さんに診てもらいたいがどこにいけばいいかと聞かれたら、「子どもたちを放射能から守る小児科医ネットワーク」の人を紹介してもいいか。
かまわないが、数が少ない。できれば、かかりつけのお医者さんを育ててほしい。今は大学でも放射線医学の、とくに有害性を勉強していない。いっしょに勉強してくださいと呼びかければ来てくれる人もいるはず。福島の外であれば利害もない。医師会は政治団体だから、利益がないと動かないけれど、個々の医師に呼びかけて、近所にそういうものをつくっていくことが大切。

― 福島の人に「だいじょうぶ」と言われたら、なんと言えばいいか。
相談会に来ない人のほうがたいへんだろうな、と思う。思っていない人に、たいへんだと思ってもらうのはたいへん。でもそういう人も不安になることはある。そのときに行ける受け皿をつくっておくこと。不安は優性思想につながるもので、差別につながるような不安の強調をすべきではない。受け皿だけつくっておくこと。いまはそれも少ない。東京都への避難者8000人の健康相談もできていない。

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第五福竜丸と福島の両方をいっしょに展示する企画に大きな意味を感じます。
特にマーシャル諸島の情報は今の日本にとって必要な情報と思います。
第五福竜丸をゴミにしかけていた日本人は、福島をゴミにしないように、学んで選択する大切な時だと思いました。(匿名希望)

一般報道では伝えられていない、福島の方々の複雑な状況、お心持ちを知ることができて、参加してよかったと思いました。
これまで日本が抱えてきた問題が、福島の方達を通しても、表出してきているのではないでしょうか。福島の方達と、どう関わって生きていくかということが、それぞれに問われているのでは、と思いました。(渡辺真知子さん)

〈現実〉を見つめ、受け入れることの重要性、〈こうすれば安全〉という絶対的な答えがない事実を見つめつつ、個人のライフスタイルを尊重していくことの大切さを語る山田さんのおおらかな態度に共感を覚えます。
まず個人として信頼できるかかりつけ医と良好な関係を持つことが大事なのだと思いました。行政、政治団体に期待せず、自らの社会関係資本を持つことが必要なのだと改めて痛感しています。(5歳児の父さん)

いろいろなことを考えますが、何ができるかを自分に問いかけて、ともかく、覚悟を決めて生きていこうと考えました。放射能について勉強して、これから起こることを予測し、どんなことにも自分の前に現れた現実を直視してのりこえていく(人にも助けの手を出していくことも含めて)ことではないかと思います。(匿名希望)

危険情報の拡散などが中心のあまり意味の無いフォーラムなどが多い中、人権に配慮された山田真さんのトークセッションは、これからの日本人が目をそらしてはいけない核心を語っていたと思う。(田崎光哉さん)

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全会期を通して、約180名の方々にお越しいただきました。
ふくふくのスタッフとしてこの企画にたずさわり、ご来場のみなさんとのお話やご感想から、どれほど多くのことを学ぶことができたかしれません。

「子どもたちを放射能から守る 福島ネットワーク」への寄付についてはあらためて、ブログで発表いたします。

どうもありがとうございました。

2011年9月10日土曜日

【安田和也さんトークセッション】終了いたしました

9日は、第五福竜丸展示館学芸員・安田和也さんによる、第五福竜丸の被爆の状況や日本社会がそれをどう受け止めたかというお話をうかがいました。
ご報告を一部ご紹介いたします。

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第五福竜丸は、敗戦直後の数年間のみ建造された、木造の遠洋漁業船のなかで唯一残っている船です。その意味で、平和遺産でもあり、また産業文化遺産でもあるのですが、その建造の経緯、被爆の状況、被爆後の受け止められ方には、戦前・戦中・戦後に日本が歩んだ歴史が色濃く反映しています。
戦争中、日本軍は漁船及び漁民を、輸送や哨戒などのために徴用しました。漁船ですから武器もほとんど備え付けておらず、 敵軍に見つかれば真っ先に攻撃され、軍属となった漁師の死者の正確な数は今日でもわかっていません。5~6万人ともいわれているそうです。
戦後、もうれつな食糧難に際し、日本政府は漁業復興による食糧確保をめざします。しかし連合国により、航空機と船舶の建造には制限がもうけられていました。日本政府と水産業界がGHQと交渉をくりかえした結果認められたのが、100トン未満の木造船で、第五福竜丸はその一隻だったのです。

当時、遠洋漁業の操業期間はおおよそ1ヶ月半で、その間船はどこにも寄港しませんでした。遠洋漁業が向かう南洋は、戦前から戦中にかけて、日本軍が苦しめた地域だったためです。
とりわけ被爆時に第五福竜丸が航行していた海域は日本軍が大敗を喫したミッドウェーに近く、漁師たちには、死んだ日本兵に海に引きずり込まれると、恐れられている場所でした。

1954年3月1日朝、第五福竜丸の乗組員は、西方向に大きな火の玉を見ました。ひょっとしたら原爆実験ではないか、と思い、急いではえ縄を引き上げました。その作業中に、「死の灰」を大量に浴びたのでした。米ソの核兵器開発競争が激しくなっていたこの時期、第五福竜丸が被爆した3月から5月にかけて、アメリカは実に6回の水爆実験をこの海域で行っていました。
福竜丸の無線長であり、半年後に急性放射能障害で亡くなる無線長の久保山愛吉さんは、このとき母港焼津に無線を打っていません。無線を打てば米軍に傍受され、拿捕されると、戦中徴用されていたときの経験から考えたためです。実際には、米軍は、水爆の予想以上の爆発規模に、実験域から一時撤退をしていたため、第五福竜丸を見つけていなかったといわれています。

3月16日に帰港。2日後に読売新聞が、詳細な記事のスクープを出します。
当時あまり知られていなかった「水爆」ということばがすでに記事には現れています。読売新聞はこのとき原水爆の特集記事を準備しており、勉強していた記者がいたためです。その後彼らは、「原子力の平和利用」の急先鋒となっていきます。

・放射能障害の治療:ともかく放射性物質が体内から排出されるのを安静にして待つしかない、という点で、今日も基本的には変わらない
・食品の汚染:基準値以上の食品の廃棄。しかし、54年末に検査は突然廃止される。
・海中の放射性物質の移動:拡散・希釈することはなく、かたまって海流に乗って移動する。

こうしたことが日本の科学者たちの手によって明らかにされ、全国で原水爆反対の声が高まりますが、日米政府の政治決着によって、1954年末にこの問題はふたをされ、年が明けてからは新聞報道も立ち消えていきました。

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このトークセッションがおこなわれた9月9日、読売新聞は「核実験のマーシャル諸島 半世紀を経て帰島進む」という記事を掲載しました。しかし記事の内容は、「帰島」 とは程遠い状況を語っています。除染は実施されていますが、50年後の現在も線量が高く入れない場所がある、というものです。安田さんはこの記事に触れ、いったい何を言おうとしているのか、と問いを投げかけて、お話を終えられました。

放射線障害の治療の難しさ、食品の汚染をどこまで排除できるか、除染…こうしたことを、「生々しい」と感じる日々を、私たちは生きているのだという恐ろしい事態を感じずにはいられませんでした。

最後にご感想をひとつご紹介いたします。

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石巻・女川の人々と交流していますが、海洋汚染への不安は高まるばかりという中で、毎日のように石巻でも水揚げのニュースがバンバン報じられています。怖いのは風評被害ではなく、原発事故による放射能被害です。第五福竜丸-福島はいろんなことすべてとつながっていることを感じています。(Sさん)

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ありがとうございました。

【パネルと写真展】いただいたご感想 9/9

会期5日目も、たくさんの方にご来場いただきました。
お仕事のあとお越しくださったのか、夕方以降のご来場が多かったです。
お疲れのところ、どうもありがとうございました。

ご感想を一部ご紹介させていただきます。

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ヒバクシャの願いも虚しく、核戦略体制が続いていること、原発の建設が続けられていることの原因を一言で何と言ったら良いのでしょうね。一番悪いのは、日米の独占資本のような気がするのですが・・・などとパネルを見ながら思いました。(山本光一さん)
 
93日「戸山教育基本法勉強会」という都立戸山 高校卒業生保護者の勉強会でアーサー・ビナードさんをお招きし、お話を伺いました。午後第五福竜丸展示館に行きました。九条の会のブックレットの中で、ビナードさんが久保山愛吉さんを紹介しています。久保山さんの勇気に感動しました。ネットでこの展示を知り、こちらにきました。ビナードさんの絵本もあり、展示も理解しやすく、工夫されています。(森田麻里子さん)

第五福竜丸の人たちは、被爆時、死の灰をあつめて持ちかえったようにもきいていましたが、船上に大量につもっていたのですね。被爆時より何十年もたってから発病し亡くなっていることに、放射能被曝の恐ろしさを感じました。こうしたことが、チェルノブイリの子ども(だった人)たちにおこっているし、福島の子どもたちの何十年後かにもきっと起こるのでしょう。マーシャル諸島の子どもたち、大人たちが島を棄てざるをえなかった状況と、福島の避難地域の人たちの状況が重なってくる。日本の今回の震災の場合、原発事故後の政府の対応・避難指示が全く誤ったという点で、許しがたい人災の側面がより多くあることがやりきれない。(匿名希望)

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ありがとうございました。
 

2011年9月9日金曜日

【明日!!】小児科医・山田真さんに聞く「今、福島で何が起きているのか」

明日10日土曜14時から、「第五福竜丸-福島」展最後のトークセッション、小児科医・山田真さん「今、福島で何が起きているのか」を開催いたします。
福島の子どもたちの身に何が起きているのか、支援できることは何か。福島での健康相談会から見えてきた問題をお話しいただきます。


会場には、靴を脱いで座れるスペースも設けますので、イスだと落ち着かない、のびのび聞きたいという方はぜひご利用ください。
お子さんとご一緒の参加も大歓迎です。


時間:14:00~16:00
会場:日本キリスト教会館(早稲田)4階
〔展示会場は3階です。13時半までは展示会場で、以降は4階で受付をいたします〕
入場料:500円(展示観覧料含む)

お問い合わせはfukufuku311@gmail.comまで。

【本日!】トークセッション第二弾 安田和也さん(第五福竜丸展示館学芸員)に聞く

「第五福竜丸-福島」展トークセッション第二弾は、第五福竜丸展示館学芸員の安田和也さんに、お話をお聞きします。
第五福竜丸の被曝が社会に与えた衝撃、にもかかわらず、なぜ忘れてしまったのか…いろいろおうかがいしたいと思います。19時より、ぜひお越しください。
予約不要/入場料500円(展示観覧料含む)/日本キリスト教会館3階(早稲田)

お待ちしております!

【パネルと写真展】いただいたご感想 9/8

展示をごらんになった方からは、第五福竜丸事件と福島の原発事故とのあいだに、事故後の情報の少なさという共通点を見出す声も多く出ています。
半世紀前にくらべれば、私たちはインターネットという、ひじょうに大きな情報収集の手段を得ました。それでも、私自身も第五福竜丸のことをほとんど知りませんでした。どんな情報を求めるか、得た情報をどのように理解するか、というところに、歴史をふりかえる意味もあるのではないでしょうか。

9月8日ご来場の方のご感想を一部紹介させていただきます。

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今回の原発事故があったため第五福竜丸の事故も脚光をあびるようになったと思いますが、これらの事故の記憶を風化させず国内外に語り継いでいかねばならないと思いました。(匿名希望)


福竜丸事件の概要は知っていたが、詳しい説明や当時の事件関連の品々を直接見ることができ多くを学んだ。
1960年代ですでに福竜丸のことが忘れ去られ船がゴミの島に放置されていたこと、当時からこの事故で被災された人を新聞が迷惑者扱いをするような記事を掲載していたことなど、非常に衝撃的だった。原爆の被害からわずか10年で忘れ去られた頃に福竜丸事件が起き、そしてその10年後にその福竜丸の事件も忘れられ、そして、今年福島の事件が起きたことを考えると我々の記憶のいい加減さがわかり恐ろしい。(匿名希望)

原発事故の後、母親が「全く情報が入らない。第五福竜丸の時のほうがまだまともな報道があったような気がする」と言うのを聞き、興味を持ちました。久保山さん以外の方たちが、ずいぶん後になってガンで亡くなったこと、マーシャルの子どもたちも同じように後からいろいろな障害が出て来たこと等、今後の日本を考える際、参考になると思います。「大丈夫だ」と大手メディアの報道をうのみにしている人たちに見てもらいたい内容でした。(K.H.さん)


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ご来場ありがとうございました。